記録目前、話題のロッテ岡田選手のお嫁さん。夫を支える堅実な公務員 [野球]
デビューからの連続無ホームラン打席数記録の更新まで目前と迫る千葉ロッテの岡田幸文外野手(30)。
妻の由美子さんと2人の娘さん、家族4人で2012年にテレビ番組に出演し、
奥さんの堅実さが、ネットを中心に話題になりました。
岡田選手が注目されている今、その話題についてまとめてみようと思います。
前の記事で、岡田選手の経歴について書きましたが、彼は大学中退後、地元で社会人野球をしていました。
そのときに、11歳年上の由美子さんに一目ぼれし、結婚しました。
彼女は、栃木県足利市の職員、つまり公務員で、考え方も実に堅実です。
プロ野球選手は、不安定な職業であることを理解し、既に子どもも2人いたため、岡田選手のプロ挑戦には猛反対だったそうです。
番組に出演した際、由美子さんは以下のような発言を残したそうです。
「子供たちどうすんの?」
「貴方はいいけど私たちはどうするの?」
「夫は私や子供より野球を選んだ」
「仕事どうすんの?」
「ボール転がすのやめてプロパンガス転がしに帰ってくる?」
(岡田選手はプロ入り前、足利ガスの嘱託社員でした。)
「私はお菓子じゃ騙されないぞ」
(子どもがロッテのスカウトにお菓子を貰い、嬉しそうにしていたとき。)
「お前か、この人を持っていくのは(怒)って顔に出てたと思いますよ」
「しばらくはおこずかいあまり出せないよ(怒)」
(岡田が自主トレで海外に行った時に携帯使いすぎたことに対して)
「それが嫌なら野球をやめて、帰ってきたら」
まずは2年間だけ、という条件を妻に付けられ、職場の足利ガスには、2年後に退団した際に社員採用すると後押しされ、岡田選手はプロ入りし、育成選手としてスタートしました。
単身赴任でロッカーはダンボール。
年棒は、由美子さんの給料より断然低いという厳しい状況から、
今ではロッテ主将、ゴールデングラブ賞にも2度輝いた、野球界を代表する選手になりました。
栃木県足利市には、念願のマイホームを建築。
かなりの田舎で、千葉からもかなり距離がありますが、そこも奥さん主導での決定だったようですね(笑)
とても筋の通った、しっかりした理由です。
そして、夫の大活躍にも、まだまだ浮かれる様子はありません。
※写真はすべてhttp://blog.livedoor.jp/livejupiter2/archives/5698794.htmlより引用
岡田選手には、家族のためにも、これからますますがんばっていってもらいたいですね。
妻の由美子さんと2人の娘さん、家族4人で2012年にテレビ番組に出演し、
奥さんの堅実さが、ネットを中心に話題になりました。
岡田選手が注目されている今、その話題についてまとめてみようと思います。
前の記事で、岡田選手の経歴について書きましたが、彼は大学中退後、地元で社会人野球をしていました。
そのときに、11歳年上の由美子さんに一目ぼれし、結婚しました。
彼女は、栃木県足利市の職員、つまり公務員で、考え方も実に堅実です。
プロ野球選手は、不安定な職業であることを理解し、既に子どもも2人いたため、岡田選手のプロ挑戦には猛反対だったそうです。
番組に出演した際、由美子さんは以下のような発言を残したそうです。
「子供たちどうすんの?」
「貴方はいいけど私たちはどうするの?」
「夫は私や子供より野球を選んだ」
「仕事どうすんの?」
「ボール転がすのやめてプロパンガス転がしに帰ってくる?」
(岡田選手はプロ入り前、足利ガスの嘱託社員でした。)
「私はお菓子じゃ騙されないぞ」
(子どもがロッテのスカウトにお菓子を貰い、嬉しそうにしていたとき。)
「お前か、この人を持っていくのは(怒)って顔に出てたと思いますよ」
「しばらくはおこずかいあまり出せないよ(怒)」
(岡田が自主トレで海外に行った時に携帯使いすぎたことに対して)
「それが嫌なら野球をやめて、帰ってきたら」
まずは2年間だけ、という条件を妻に付けられ、職場の足利ガスには、2年後に退団した際に社員採用すると後押しされ、岡田選手はプロ入りし、育成選手としてスタートしました。
単身赴任でロッカーはダンボール。
年棒は、由美子さんの給料より断然低いという厳しい状況から、
今ではロッテ主将、ゴールデングラブ賞にも2度輝いた、野球界を代表する選手になりました。
栃木県足利市には、念願のマイホームを建築。
かなりの田舎で、千葉からもかなり距離がありますが、そこも奥さん主導での決定だったようですね(笑)
とても筋の通った、しっかりした理由です。
そして、夫の大活躍にも、まだまだ浮かれる様子はありません。
※写真はすべてhttp://blog.livedoor.jp/livejupiter2/archives/5698794.htmlより引用
岡田選手には、家族のためにも、これからますますがんばっていってもらいたいですね。
タグ:ロッテ岡田
連続無本塁打記録、ロッテ岡田はどんな人物?年棒は?嫁の反対を押し切って [野球]
デビューからの連続無ホームラン打席数記録、1770打席。
この記録を、今日の試合で破ると見られているロッテの岡田幸文選手(30)。
彼は、どんな人物なのでしょうか?
前の記事では、現記録保持者の故・横沢七郎選手について書きましたが、
今度は岡田選手について、調べてみました。
※写真はwikipediaより引用
岡田選手は、栃木県塩谷郡高根沢町の出身。
県内屈指の名門・作新学院高校に入学しますが、本命と目されながらも甲子園出場は叶いませんでした。
その後、日本大学に入学し、同級生には、巨人で活躍する長野久義選手がいました。
しかし、すぐに肘を故障してしまい、全治一年以上と診断されます。
それが原因で大学を数ヶ月で中退、地元に戻ってクラブで野球を続け、怪我をしながらも活躍します。
そして、この時、11歳年上で足利市職員の妻・由美子さんに一目ぼれし、結婚。
この奥さんと、テレビ番組に出演し、妻、由美子さんの堅実さがネットを中心に話題になったようですね(笑)
長くなってしまいそうなので、詳しくは次の記事で書かせていただきます。ご了承くださいm(_ _)m
岡田選手のほうは、2008年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに6位氏名を受け、
2009年に二軍に育成選手として登録。
プロ入りの際には、既に娘さんが二人いたこともあり、奥さんに猛反対されたそうですが、まずは2年だけ、という約束でプロへの挑戦を許してもらったそうです。
そして2010年、一軍選手の故障により、一軍に昇格しました。
その後、守備を中心に活躍を重ね、レギュラーに定着。
2011年には、育成出身選手として初の全試合出場を達成し、ゴールデングラブ賞を獲得。
さらにこの年の連続守備機会無失策数359は、リーグ新記録でした。
その後、不調の時期などがありながらも、2012年に日本代表選出、2013年にロッテの主将抜擢など、活躍を続けてきました。
年棒については、2009年オフに支配下選手の最低額、440万円でしたが、
2010年、一軍昇格により年棒は倍増。
足利市の公務員である「奥さんの給料を超えました」と発言しました。
その後の活躍で、また上がっていることでしょう。
このように、不遇の時がありながらも挑戦を続け、成功を手にした岡田選手。
珍記録と言われながらも、67年間破られなかった大記録ですから、このように注目されるのは嬉しいことだと思います。
この記録を、今日の試合で破ると見られているロッテの岡田幸文選手(30)。
彼は、どんな人物なのでしょうか?
前の記事では、現記録保持者の故・横沢七郎選手について書きましたが、
今度は岡田選手について、調べてみました。
※写真はwikipediaより引用
岡田選手は、栃木県塩谷郡高根沢町の出身。
県内屈指の名門・作新学院高校に入学しますが、本命と目されながらも甲子園出場は叶いませんでした。
その後、日本大学に入学し、同級生には、巨人で活躍する長野久義選手がいました。
しかし、すぐに肘を故障してしまい、全治一年以上と診断されます。
それが原因で大学を数ヶ月で中退、地元に戻ってクラブで野球を続け、怪我をしながらも活躍します。
そして、この時、11歳年上で足利市職員の妻・由美子さんに一目ぼれし、結婚。
この奥さんと、テレビ番組に出演し、妻、由美子さんの堅実さがネットを中心に話題になったようですね(笑)
長くなってしまいそうなので、詳しくは次の記事で書かせていただきます。ご了承くださいm(_ _)m
岡田選手のほうは、2008年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに6位氏名を受け、
2009年に二軍に育成選手として登録。
プロ入りの際には、既に娘さんが二人いたこともあり、奥さんに猛反対されたそうですが、まずは2年だけ、という約束でプロへの挑戦を許してもらったそうです。
そして2010年、一軍選手の故障により、一軍に昇格しました。
その後、守備を中心に活躍を重ね、レギュラーに定着。
2011年には、育成出身選手として初の全試合出場を達成し、ゴールデングラブ賞を獲得。
さらにこの年の連続守備機会無失策数359は、リーグ新記録でした。
その後、不調の時期などがありながらも、2012年に日本代表選出、2013年にロッテの主将抜擢など、活躍を続けてきました。
年棒については、2009年オフに支配下選手の最低額、440万円でしたが、
2010年、一軍昇格により年棒は倍増。
足利市の公務員である「奥さんの給料を超えました」と発言しました。
その後の活躍で、また上がっていることでしょう。
このように、不遇の時がありながらも挑戦を続け、成功を手にした岡田選手。
珍記録と言われながらも、67年間破られなかった大記録ですから、このように注目されるのは嬉しいことだと思います。
タグ:ロッテ岡田
ロッテ岡田、連続記録へ!記録保持者の横沢七郎って誰?どんな人? [野球]
千葉ロッテの岡田幸文外野手(30)が近づいている、デビューからの連続無本塁打打席数記録、
1770打席。
現在、この記録を保持しているのは、東京セネタースで活躍した横沢七郎選手です。
※http://eiji1917.blog62.fc2.com/blog-date-201208.htmlより引用
彼は、1936年のデビューから引退まで無本塁打。
引退は1947年なので、この記録は67年もの間、破られていなかったということになります。
それだけ、野球ではホームランが大事ということなのでしょうか。
デビュー後にホームランが打てない人は、プロとして活動し続けていくことが難しいということも言えるかもしれません。
珍記録とも言われていますが、これだけの期間破られなかった大記録です。
そんな記録を保持していた横沢七郎選手とは、一体どのような人物だったのでしょうか。
横沢七郎氏は、1913年、日本領だった台湾で生まれています。
何人兄弟かはわかりませんが、兄の横沢三郎氏は後に野球監督としてセネタースを率いた後、国民野球連盟理事、そしてパ・リーグの審判部長を歴任。
さらに、もう一人の兄、横沢四郎氏も、東京セネタースで活躍したプロ野球選手でした。
まさに、野球一家だったと言えます。
七郎氏は、あの名門・慶應義塾大学を卒業。
その後、1936年に東京セネタースに入団し、兄の四郎氏とともに活躍します。
しかし、1940年、太平洋戦争の影響で国内情勢が不安定になる中、
チーム名は「翼軍」に変わり、七郎氏は一時引退します。
そして戦後の1946年、再びセネタースに入団し、翌1947年に引退しました。
その間、通算1770打席で無本塁打。
日本の激動の時代に、プロ野球史に長く残ることとなる記録を樹立したのです。
その後は、七郎氏も審判となり、オールスターゲームに審判として出場するなど、活躍しました。
そして、2002年10月、多臓器不全のため、89歳でこの世を去りました。
横沢氏の記録は、彼の生涯を通して破られることはなく、死後10年以上も残っています。
しかし、今日、岡田選手が試合に出場することで破られるだろうと予想されています。
横沢氏は、天国でも今日という日をずっと待っていたかもしれませんね。
ロッテ岡田、本塁打無し記録も「ホームラン狙う」。横沢七郎の記録超えるか? [野球]
千葉ロッテの外野手、岡田幸文選手(30)。
現在、彼は2009年のロッテ入団以来、1769打席連続でホームラン無しです。
俊足を生かした内野安打と、外野での守備範囲の広さを武器として、
本塁打なしでも活躍を続けています。
写真は、2012年、日本代表に選出されたときのものです。
1769打席連続、本塁打無しという数字。
実は、デビューからの連続記録、1770打席にあと一本と迫っているのです。
その記録を持つのは、1リーグ時代の1947年に引退した横沢七郎選手。
横沢選手は1936年のデビューから引退まで無本塁打。
この記録が作られたのは、実に67年前ですが、ついに岡田選手によって破られようとしています。
この記録は、連続打席記録なので、ヒットなどは関係なく、打席に立てばいいのです。
つまり、ロッテの岡田選手は、今日の試合に出場さえすれば、横沢選手の記録に並び、破ることが予想されます。
岡田選手は、今日の午前、イオンモール幕張新都心でのトークショー兼サイン会、撮影会に出席し、
「ホームラン狙いますよ! ホームラン打ちたいですもん!」
と発言し、笑いを誘ったとか。
別のインタビューには、
「長くやってこれたからこそ。本塁打が打てなくてもプロでやれるということを証明したい」
とも語っています。
たしかに、ホームランが打てたほうが、打者としては良いに決まっていますが、そのようなタイプではない岡田選手の活躍は、全国の子どもたちに夢を与えているでしょう。
ちなみに、デビューから連続、と限定しない場合には、本塁打無しの連続打席記録を持つのは、
有名な元阪神タイガースの赤星憲広選手で、2528打席。
2005年6月に本塁打を打ってから、2009年の引退まででの記録です。
岡田選手には、これからもがんばってこちらの記録にも挑戦してほしいですね。
タグ:ロッテ岡田